2016/02/25

房総紀行 1/3 日本寺の羅漢さま


新鮮な魚介類を食べたいと出かけた房総半島への一泊旅行。旅行前には期待していなかった(と言うよりほとんど無知の存在だった)鋸山日本寺の羅漢像との出会いは今回旅行のメインイベントになった。

明治22年、第一高等中学校の生徒であった夏目漱石が著した房総紀行にも、漱石が羅漢像に圧倒された様子が記されている。
. . . おとづるるもの道の脇なる巖の下の二百体ばかりの石像を見て、まづ羅漢さまはこれで全部なるべしと思ひしに、なんぞはからんその岩角をむかうへまはればたちまちあらたに百餘像あり。. . . (中略). . .  その巨岩のうへにまた数十の像あり。. . . (中略). . . てつきり行きどまりとおもいしところに突如一洞穴ありて、洞内ことごとく羅漢さまなり。. . . (中略). . . つぎつぎと石ぼとけのあらはるるこそまことにおもしろけれ。
  (漱石の夏やすみ―房総紀行『木屑録』」からの抜粋)
そして、日本寺のもう一つの名物が「地獄のぞき」。訪れた観光客の多くが、手すりを掴みながら恐る恐るその先端に立とうとする。お金を払って遊園地の絶叫マシンに乗る行為に共通の習性と思えるが高所恐怖症の自分は遠慮した。

房州石の石切場跡を展望台として転用されたものだそうだが、木屑録ではこの石切場のことは触れられていない。多分漱石が訪れてからずっと後になって観光施設として整備されたものなのだろう。

火熱に強い房州石は倉庫、建物外壁、塀、かまどなどに盛んに使用されていたらしい。風化しやすい凝灰質砂岩の房州石の弱点で、その後しだいに大谷石やセメントに取って代わられ今ではほとんど産出されなくなったそうだ。

房総紀行 2/33/3