一冬で薪ストーブから出る木灰はかなりの量になる。
庭で適当な場所を見つけて撒いているが、冬も終わりの頃になると、新しい撒き場所を見つけるのに苦労することもしばしばだ。
ずいぶん以前に購入した本「むらに生きる先人の知恵」(稲村半四郎著、農山漁村文化協会発行)に、木灰に関する記述があった。
明治34年生まれの著者の子供時代の話だから、明治末〜大正初期の話だろう。当時、木灰はかなり重要なカリ肥料(=土壌中和剤)だったようだ。
次の文章を読むと、農家の人々が木灰をどれだけ大事にしていたかがよく分かる。
母は毎朝、火をたきつける前にひじろの灰を取り、裏口の大きい土がめの中に入れた。
「灰っちゅうもんはおかしなもんで、毎朝とればたまるけんど、そのままで火を燃すと、灰は重くはなるけんど、たまらないもんだよ。」
そう言いながら風呂の火をたきつける時にも、必ず灰をとってから火をたきつけたものであった。
木灰を元肥にすると、“トマトやエンンドウ豆のおいしさや甘さがびっくりするほど増し”、“柿も甘くなる”ともある。
肥料以外でも、山菜のアクヌキ、梅漬けの前処理、鍋や釜の磨粉、馬鈴薯種芋の防腐剤、. . . 等々、木灰は生活の色々な場面で活用されていたようだ。
これまでの「灰の捨て場所を探す」という感が強かった態度を反省し、先人の知恵に学んでこれからは木灰をもっと大切に扱うようにしようと思う。
まずは、“裏口に大きな土がめ”が必要だが、これは中華料理店からもらってきて放ったらかしにしていたザーサイの壷で代用できそうだ。
ちなみに、著者の稲村半四郎氏は、富士見村(現笛吹市の一部)村長も務めた山梨県生まれの篤農家で農民運動家。
写真は「絵本 はなさかじいさん」(いもとようこ著 岩崎書店刊)の表紙の一部。