2011/07/30

今日の庭の野草


今日の庭で咲いている主な野草。例年に比べ今年の野草は全般的に花のつきが寂しい。

上段左から、オオバギボウシ、シモツケソウ、ヤマトラノオ、ヤマハギ。
下段  "   "  、ヤマホタルブクロ、シデシャジン、チダケサシ、フシグロセンノウ。

まもなく花開きそうなのが、ヒヨドリバナ、キキョウ、オミナエシ、ヤマユリ、マツムシソウなど。

2011/07/29

ナデシコ

最近すっかり有名になったナデシコジャパン。庭のカワラナデシコも今が旬。

蜜源植物 リョウブ

庭のリョウブが咲き出した。

甘い芳香に誘われハチ、チョウ、アブ、ハエなどが群れているが、ニホンミツバチの姿は意外と少なくチラホラ程度。

2011/07/26

U君への手紙 No.2 "Bee-friendly gardening"

7/8「U君への手紙 No.1」の続き。

趣味の養蜂家の活動で、ニホンミツバチの減少傾向をストップ or スローダウンできるものでしょうか?

U君同様、私自身もこの点についてはかなり懐疑的です。

人がミツバチにしてやれることと言えば;

- 営巣場所(=巣箱)の提供
- 給餌(=砂糖液・代用花粉・水)
- 害敵駆除(=スズメバチ、スムシ、熊など)

. . . など、ごく限られています。とは言え;
  • ミツバチの場合には、巣箱を置けばその地域の営巣群が増えるという訳ではなさそうです。(この点、樹洞が減ったフクロウに巣箱を提供するのとは様子が違います。)

  • 給餌も、花蜜欠乏時の非常食や、産卵を促すためのカンフル剤的なもので、他のペット類のように“餌を与えて飼う”というわけではありません。

  • 害敵駆除への養蜂家の貢献もかなり限定的です。健全な蜂群であればミツバチ自身が自分達で防御し人の手を必要としません。自分達の手に負えそうもない時はより安全な場所を求めて住まいを移します。
+ + + + +

畢竟、ミツバチが生息する上で一番重要な要素は「豊な蜜源環境」との感を最近ますます強くしています。であれば、人ができることは、「ミツバチを飼う」こと以上に「ミツバチの好む環境作り」と言うことになります。

英国ケンブリッジ大学の"Bee Borders"(上写真)や、米国カリフォルニア州立大学の"Honey Bee Haven"活動(下スケッチ)など、欧米での "Saving the honey bee"の運動は次第にその方向へシフトしつつあるようにも見えます。(注)

日本でも、長野県富士見高校養蜂部の“富士見みつばち百花パートナー”や、“ビー・ガーデンづくり”などは、同じ潮流なのではと注目しているところです。

趣味の養蜂家の活動が、“bee-keeping”から“bee-friendly gardening”へと広がった時、「趣味の養蜂家の活動で身近にニ ホンミツバチの姿が増えた」と言えるようになるのかも知れません。

注記:
コンペで優勝したSausalito Design Teamのガーデン設計図。デザインコンセプトの詳細は、University of California のWEBサイトからpdfファイルとしてダウンロードできる。

2011/07/12

ミツバチの天敵



空にはクモの巣、地上ではガマガエル。

共にミツバチの天敵だが群を崩壊させるほどの害はない。

2011/07/10

蜜源植物:クガイソウ


クガイソウの花蜜を吸うニホンミツバチ。

一株に1〜2匹程度とそう多くはない。佐々木正己著「蜂からみた花の世界」でもクガイソウの蜜・花粉源としての評価は[Temporary]。

2011/07/09

庭の野草 2011/07/09

ノイバラ、シレネブルガリス、ウツボグサはすっかり花びらを散らし、いま山荘の庭で華やかなのはシモツケ、ノハナショウブ、オカトラノオ、クガイソウ。

蕾が開き始めたのが、チダケサシ、ヤマホタルブクロ、シモツケソウなど。

シモツケ
枯れた花も目立ち始めたが、次々と新しい花が開いてくれるので当分の間は楽しませてくれそう。


ノハナショウブ
緑の中で深い紫色がいっそう高貴に見える。
オカトラノオ
他の野草を守るため、この春は間引きが必要だったほどに良く増えている。
クガイソウ
花穂はまだ小振りで花の紫色も薄いが、後数日晴天が続けばもっと華やかになるはず。我家の貴重保護種の一つ。

2011/07/08

U君への手紙 No.1 "蜜源環境"

U君、メールありがとうございました。

我家の蜂場を見学されてU君が抱いた感想や疑問には、U君がNGOメンバーとして東南アジアや中国での森林調査・植林事業に携わった経験が垣間みられ興味深く読ませてもらいました。

U君からの問題提起が多岐のテーマに渡っているため、全てにお答えするまでには多少時間がかかりそうです。そこで、このブログ上で一般的なテーマから順次返答をさせてもらうことにしました。

また、U君からの質問内容をこちらで勝手に整理し、要旨としてまとめさせてもらいましたこともあわせてご了承下さい。

+ + + + +

薪炭需要の低下で雑木林の萌芽更新がなされなくなり、里山の樹木花が減ったり、秋の山野草が少なくなった。そのため、里山がかってほどの蜂群数を維持できなくなったことがミツバチ減少の原因では?


  • 確かにミツバチにとって蜜源環境は一番大きなファクターであることはご指摘のとおりと感じています。そして、その蜜源環境の劣化は里山以上に、その先の“奥山”で起きたのでは、と私は推測しています。

    昔から養蜂が盛んな地域、九州椎葉村、和歌山の熊野、信州の伊那、. . . などの自然が、里山というより奥山の森林形態であることがその理由の一つです。

    [春:奥山で分蜂群を捕獲]→ [夏:里に降ろして飼育]→ [秋:ハチミツを収穫し蜂は自然に放つ]→ [冬:放たれた蜂は奥山に帰って越冬]→

    . . . というのが日本の伝統的養蜂のサイクルだったのではと想像しています。

  • ただ一方で、もしそれが主因とすれば、ミツバチの減少はもっと早くから問題視されていたはずなのでは、との疑問は残ります。

    戦後の植林事業で多くの広葉樹林や照葉樹林帯が針葉樹を中心にした人工林に変ったのはもう随分以前のできごとです。ここ5〜10年間に起きている(と言われている)ニホンミツバ チ群減少の主因とするには余りにも時間差があり過ぎるような気がしないでもありません。

  • 更には、「最近ニホンミツバチが減った」ということ自体についても、もう少し検証する必要があるのかも知れません。

    確かに、最近自然巣からの分蜂群捕獲が減った、という話はベテラン養蜂家からよく聞きます。ただ、だからと言って「ニホンミツバチの絶対数が減った」と結論づけるのは早計かもしれません。もしかしたらミツバチの生息域が変化しただけ、という可能性も考えられます。

    この問題は、この数年、輸入禁止に端を発した養蜂用種蜂や受粉用蜜蜂の不足問題と混同して語られることもあり、問題の所在を一層不鮮明にしているように感じています。

    + + + + +
 . . . ということで、返答にならない返信になってしまいました。

セイヨウミツバチに比べて、研究論文や調査データーが圧倒的に少ないニホンミツバチについて語る時、多くのことが推測や仮説だけでの話になってしまうのは歯がゆいところです。

でもここ数年、ニホンミツバチへの関心も高まり、研究・調査を行う大学や研究機関が出始めているようです。近い将来、ニホンミツバチの実態についてもより“科学的”な説明がなされる日も近いのではと期待しています。

次回は、ニホンミツバチの減少問題に、趣味の養蜂家がどの程度貢献できるのか?とのテーマについて私の考えを述べさせていただこうと考えています。

2011/07/07

スズメバチの“逃去”


最近見かけたスズメバチの巣三態。どれも径5〜10センチ程の小さいももの。営巣途中で放棄されたのだろう。(注)

左端写真は逃去後巣内に残されたニホンミツバチの巣板。
ミツバチが巣箱から逃去するのは;
  • 周辺の蜜・花粉源の枯渇
  • 巣箱近辺の環境不良 (強風、直射日光、湿気、振動、異臭など)
  • 害敵 (盗蜂、スムシ浸食、スズメバチ・アリ・熊などの攻撃)
  • 群の増勢による巣箱内スペースの不足
  • 採蜜や養蜂管理の不手際
などが理由と言われている。

これらミツバチの逃去理由の中の何かが起きたため、スズメバチが巣造りを途中放棄(=逃去)したのだろうか?それともハチ目昆虫にとって逃去はごくありふれた自然の生態なのか?
疑問と興味が湧いてくる。

+ + + + +

「逃去」という言葉は “ミツバチを自分の巣箱の中に拘束しておきたい”人間の側から見た呼称。だから、スズメバチが巣を放棄しても誰も“逃去”とは呼ばない。

この春に体験した多くの分蜂、分蜂群の捕獲、一部捕獲群の逃去。また、自然に帰っていったフクロウの巣立ち。それらを見ていて、「ミツバチの逃去」について色々と考えさせられるところがあった。

そんな時に改めて読み返した玉川大学ミツバチ科学研究センター 佐々木正己教授の「逃去」に関する解説。
(ミツバチが逃去すると). . . 飼っている者としては落胆する。しかし、ミツバチの側から見れば、理由があって逃げるのである。

そもそも「逃げる」というより、具合の悪い場所に見切りをつけて、心機一転「再生」を図るわけで、むしろ積極的な行為といえよう。. . . (佐々木正己著「ニホンミツバチ—北限のApis cerana」p142)

Sustainable Beekeeping
を目指す趣味の養蜂家にとっては多くの示唆を含んだ言葉だ。

注記:
営巣場所は、左から庭のコナラの小枝、分蜂群待受巣箱の中、アオハダの梢。何スズメバチ、あるいはアシナガバチかはまだ 同定できていない。

2011/07/02

ミネルヴァの梟


「ミネルヴァの梟」. . . フクロウ関係の書籍を読んでいるとしばしば目にする言葉。ヘーゲルの「法の哲学」序文の一節が、この言葉を一層有名にしたと言われる。
ミネルヴァの梟は黄昏とともにようやく飛び始める。
ヘーゲルの意を我流で解釈すれば . . .
人は問題が眼前に現れるまで事態の進行に気づかない。
そして、人が状況に気づいたからと言ってその流れを引き戻せるわけではなく、事態はそのまま突き進んでいく。
. . . ということになるのだろうか。

+ + + + +

去年に続き今年の春も我家のミツバチ見学にみえたFK氏とUD氏。東日本大震災の直後、そして原発災害の渦中とあって、共に過ごした2日間は、ミツバチではなく原発問題の談義で大半を費やすことになった。

今回の大震災が、日本国のありようだけでなく、日本人個々人の価値観やライフスタイルをも転換させる契機になるのでは、との願望までは共有できても、 その実現性に関しては三人三様の見解。

「3・11」が遠ざかるにつれ、状況は “ヘーゲルの梟” の軌跡を追って進んでいるように思えるのだが?

2011/07/01

唯物論者のみたフクロウ


山を下り東京に帰った翌日から連日の猛暑。引きこもり状態だった3日目、意を決して外出し神田古書街のクルージング。

目的の古書は「唯物論者のみた梟」と「梟と人生」(共に福本和夫著)。

戦前、日本共産党の理論的指導者として活動し、長い獄中経験もある福本和夫氏。近年、氏の著作は、本業の「マルクス主義の理論的研究」より、フクロウに関する著述の方が有名になりつつあるようにさえ見える。

フクロウ—私の探梟記」は氏の二つの著作、「唯物論者のみたフクロウ」(1952刊)と「梟と人生」(1969年刊、非売品)が一冊に再編集され、1982年に新たに刊行されたもの。今ではフクロウ愛好家の必携の書となっている。

できれば元本も入手したいとの思いで探したが、残念ながら今日はどちらの古書にも出会うことができなかった。