2011/03/31

マレーシアのミツバチ


マラッカに向かう途上、高速道路のサービスエリアで見かけたハチミツショップ。養蜂の盛んなマレーシアらしく、品揃えも豊富で本格的な専門店だった。

ヒマラヤ山岳部の断崖絶壁に棲息するヒマラヤオオミツバチの巣から蜂蜜を収穫するハニーハンターの話は有名だが、マレーシア、インドネシアなどにも負けず劣らずの命がけのハニーハンター達がいる。地上60〜80mのTualangの樹上に作られるオオミツバチ&(Apis Dorsata)の巣を採取することを生業とする人達だ。

樹皮が滑らかで、地表から40mほどまでは全く枝のない幹に足場を作りながら登って行く。目標の樹冠にたどり着くとそこには日本ミツバチの2倍ほどの大きな蜂が待ち構え、時には千匹以上で一斉に反撃してくるというからたまったものではない。

かっては蜂の攻撃を避けるため新月の暗闇の中で松明をかざして行なったそうだが、命を落とすことも珍しくなかったらしい。そのオオミツバチが減り、ハチミツハンティングを業とする人の数も随分と減ったと聞く。
(上写真はBlogMADU他のWEBから借用した写真を組合わせて作成)



もちろん近年のマレーシアでの蜂蜜生産は巣枠式巣箱を使用した近代養蜂が主流。大規模養蜂場も多く、また高原リゾート地などには観光養蜂園もいくつかある。

一年中花の絶えない地に住むミツバチや養蜂家は幸せ者だ。でも、ミツバチの貯蜜意欲が衰えるのではと余計な心配もしたくなる。

今回の旅行中に見かけたミツバチは、デイゴ(アメリカデイゴ?)の花で蜜を集めるApis cerana(東洋蜜蜂)一匹だけ。

次回は、ミツバチハンター見学など、ミツバチ中心のマレーシア旅行を組んでみたい。

2011/03/30

東日本大震災


2011年3月11日午後2時46分。東北関東沖で発生したM9.0の地震。それに続く、津波と火災。そして追い討ちをかけての原発クライシス。

地震発生直後、真っ黒に塗られた通行止めを示す高速道路情報マップに不気味さを感じたが、今にして思えば、その後に続く未曾有の大惨事の予兆だった。
街を粉々に砕きながら山裾まで駆け登る津波 . . . 赤い炎と黒煙をあげる石油コンビナート . . . 冷たい雪の降りかかる瓦礫の中に肉親を探し求める被災者の姿 . . . 爆発で鉄骨がむき出しになった原子力発電所 . . .
連日TVから流れてくる映像を見て、胸が重苦しくなる日々が続いている。

哀悼や憐憫の情を一片の言葉で表現することさえ憚られるような被災者を突然襲いかかった現実。“平凡な日常”のありがたさを改めて思い知らされる。

2011/03/10

ハリウッド桜と甲羅干し


雪の八ヶ岳から下りてくると下界はもう春。ハリウッド桜はすっかり開花し、野川の岩場には冬眠から目覚めた亀の甲羅干しの姿が。

ちなみにこの亀はアメリカ原産のミシシッピアカミミガメ。幼亀の時はミドリガメと呼ばれ縁日なのでよく売られている。ペットで飼うのが飽きた誰かが放したのだろう。
カメがいるから自然が豊か、と単純に喜ぶわけにはいきそうもない。

野川には、在来種のイシガメ、クサガメ、スッポンなども生息しているらしいがまだ見かけたことはない。

蛇足:
亀は自分では体温の調節ができない変温動物水温が低い時には時々日光浴をして身体を温めないと動けなくなってしまう。海水浴場で見かける人間の生態と同じ。

2011/03/09

高菜三昧


しばらく山荘を留守にするので、食料品の買出しを控えていたら手元の青菜がほぼ底を尽いた。そして外は大雪。とくれば「海の男の艦隊料理」で学んだ乾燥野菜の絶好の出番だ。

最初の夜は野菜炒め。

乾燥高菜を約3時間水に浸してゆっくり戻す。
椎茸、ホタテ貝柱、キャベツ、人参を加えてゴマ油で炒める。
中華炒めの素少々と、塩胡椒で味付けすると高菜炒めの完成。
まだ少し残っている高菜の変り漬けも添えた。

二日目は高菜のチャーハン。

今回は乾燥高菜を湯沸して短時間で戻す。
ハム、玉ねぎ、卵を加え、シンガポール土産の "Oriental Fried Rice Seasoning Mix" で味付けするとエスニック風チャーハンの出来上がり。

というわけで、山荘での最後の二日間は乾燥高菜が大活躍。HW氏に改めて深謝。

2011/03/08

牧場は雪の中


八ヶ岳牧場天女山分場へ。雪晴れの日とあって千客万来と思っていたが全く人影もなく静寂な雪の世界。スノーシューで新雪に最初の足跡をつけながら進むのも悪い気分ではない。

昼食に立寄ったキープ協会のファームショップレストランも雪の中。客層もいつもとは違っていた。

2011/03/07

雪の朝


昨夜夜半から降り出した雪で今朝の積雪は22センチ。まだ降り続いているので夕方までにはもう少し積もりそうだ。
山荘前の道路にも早速除雪車が出動してくれた。感謝。

+ + + + +

12:30  (気温 3.0度)
気温が上がってきているせいか粉雪が牡丹雪に変わり、ヤマユリの花殻の綿帽子がドンドン高くなっていく。

去年は3月9日一昨年は3月3日に冬一番の大雪があった。そして、その雪が融け終わるとダンコウバイの花が開き始めた。

2011/03/06

オス鹿の群れ


温泉帰りに山荘のすぐ近くのカラマツ林で出会った鹿。20頭近くのオス鹿が林床のクマザサを食べていた。

一頭だけの単独行動や、子鹿を連れた夫婦連れの姿はこの付近でもよく見かけるが、オス鹿だけがこれだけ群れている光景は珍しい。

まだ全員が立派な角を付けているが、この角は間もなく片方づつが順番に抜け落ちる。地上に落ちた角は、“落し角”、“忘れ角”と呼ばれ、八ヶ岳高原に鹿の角拾いシーズンが来る。

角を失った男鹿は、新しい角が生えて来るまでは、気弱で引っ込み思案な性格に変わるのだそうだ。

     角落ちてあちら向いたる男鹿かな (正岡子規)
     角落ちて恥ずかし気なり鹿の顔 (蝶夢)

2011/03/05

フクロウ勉強会

八ヶ岳自然クラブ フクロウグループ主催の勉強会、“八ヶ岳の森に棲むフクロウ - その不思議な生態を考える” (会場:八ヶ岳自然ふれあいセンター)

交通事故で逝去してから冷凍保存されているフクロウ一も持ち込み、地元甲陵中学からの生徒6名も含めて総勢43名の参加者。かなり熱のこもった勉強会だった。

+ + + + +

八ヶ岳自然クラブが今年設置したフクロウの巣箱は合計15箇所。繁殖シーズンが近づいたせいか、“フクロウが下見にやって来たようだ”とのメンバーからの報告が次々と入っている。

左写真の黒く塗られた部分、発泡スチロール製のタッチバーにフクロウの爪跡や羽根が付着しているかどうかで判断するのだが、自分が担当している3箇所の巣箱のタッチバーにはそのような痕跡はまだない。

2011/03/04

ハッチ・Bee・8の分蜂式


風はまだ冷たいが天気晴朗。高校生にとっては絶好の分蜂日和だ。

今日は長野県富士見高校の卒業式。同校養蜂部の3年生部員のTMさん、UHさん、TG君の3人も卒業する。

同校養蜂部の部名は「ハッチ・Bee・8」。その背景には、養蜂部が校内での部活動にとどまらず、“ミツバチを通じて広く社会と関わって欲しい”との、顧問のKH先生の思い入れもあっての命名と聞いている。
新しいチャレンジに旅立つ三氏。彼や彼女達の新しい世界での活動が、ハッチ・Bee・8をより大きなネットワークへとステップアップさせて行くに違いない。

富士見高校養蜂部の皆さんと知り合ったのは昨年6月。「日本高校界のミツバチ学のメッカ」になるのでは、との初対面での予感は的中し、彼・彼女等の活動が全国区レベルへと広がりを見せていることは、最近立ち上げたブログ、“はにビー かれっじ”からも伺える。

若者達の旅立ちに祝杯!

(注) 写真埋込みのミツバチイラストは、「はにいビーかれっじ」から無断借用させてもらったもの。

厳寒


東京避寒組を八ヶ岳に移動してから連日の厳寒。昨夜も最低気温はマイナス8.3度まで下がり、今朝の北側窓ガラスには見事な結氷が。

東京ではあんなに活発に飛び回っていたミツバチ達も、巣門から一切顔を出さない。 気温差10〜15度近い寒さの中に突然置かれさぞ戸惑っているに違いない。
この寒波が通り過ぎたら後は一気に春へ、と期待しているのだが . . . .?

2011/03/03

ミツバチの巣クズ


越冬期間、ニホンミツバチは巣クズを作る。巣クズの量は蜂群により多寡があるが、他の群と比較し、この冬はLA改良型TBH群(八ヶ岳越冬組)の巣クズがダントツに多い。

ニホンミツバチは、冬の寒さを凌ぐため、巣板中央部に空洞を作り、そこに蜂球(=越冬クラスター)を作って寒さを凌ぐ。この巣板中央の空洞を作る時にできるのが”冬の巣クズ”。

また、春が近づき女王の産卵が活発になると、古くなった巣を齧って新しい巣板のスペースを準備する。この時に発生するのが“春の巣クズ”。

LA改良型TBH群の巣クズが、冬の巣クズか春の巣クズかは判別できないが、巣クズの多さから推測して、この群は無事冬を過ごし、春に向け強群に育とうとしているように見える。

2011/03/02

巣箱重量の変化 (東京避寒組)


昨日、八ヶ岳への移動前に測定した2群の重量は、A群=19.5kg、B群= 4.5kg。

それぞれの群の東京移住時の重さは、A群 20.5kg(10/29計測)、B群15.0kg(11/01計測)。(注1、2)


11月〜2月を経て、A群が減らした貯蜜量は1.0kg(= - 5%)。一方、B群は10.5kg(= - 70%)。有り余る貯蜜を持つA群と、春を向かえるまでに食料が尽きそうなB群。両群ともこの4ヶ月間同じ外部環境下(=気候+周辺花蜜量)で過ごしてきた。

B群が陥っている状況の背景には次のような理由があるのでは、と推測しているが真相は分からない。

+ + + + +

東京疎開の時やや弱群だったB群はその後群勢を盛り返し、最近ではA群に負けないほど活発に外勤蜂が出入りし、午後の時騒ぎもほぼ同様の光景を見せている。
  • 冬入り時の弱勢でもともと外勤蜂の働き手が少なかった。
  • そんな状況の中での東京への引越し。気候もマイルドで、まだ流蜜もある新環境に刺激され、女王蜂の産卵が突然活発になった。
  • そのため、「蜂児 vs. 内勤蜂 vs. 外勤蜂」の構成にアンバランスが生じ、一時的に「消費量>集蜜量」の状態に陥った。
  • その間、冬入り前に貯めておいた蜜を食い潰しながらの生活が続き、貯蜜の多くを消費した。
+ + + + +

ともあれ、春の流蜜期が始まる前に、B群の食料が底をついてしまう可能性は高い。もう少し気温が上がれば給餌を開始したいのだが、天気予報ではまだしばらく寒い日が続きそう。今夜の外の気温もマイナス5.2度まで下がってきた。(11:45時点)

注記:
(1) 数値は全て巣箱重量(A巣箱=8kg、B巣箱=5kg)を差し引いた値。
(2) 移住時の著密量の差5.5kgは、それぞれの蜂群の大きさを考えると妥当な差異と感じた。

2011/03/01

東京避寒組の引っ越し

今日東京避寒組2群の八ヶ岳への引越作業。

移動時期としては少々早過ぎるのだが、3月中八ヶ岳に来るのは今回が最後。万一3月下旬に東京の庭ででも分蜂されたら騒動になる。今回の早めの引越はそれを回避するための対応。

巣箱を設置し始めると同時に雪がチラつき、アッと言う間に庭一面が白色に変った。東京避寒組の巣箱には防寒シェルターを準備していなかったのであり合わせの材料を集めて取りあえずの防寒対策をした。