気軽に手をつけた庭の石掘り作業、すぐにその大変さに気づかされた。一つの大石の下にまた次の石が顔を出しエンドレスの作業にさえ思えてくる。なぜこれだけの石が敷地内の地中に存在するのだろうか?
明治31年、北巨摩郡大泉村を襲った大土石流災害の名残だろうか?ただ、この時土石流は西側の谷あいを流れ下ったようで、高台に位置する泉原に大石が運ばれてきたとは考えにくい。(参照文献:中井一鴨氏「八ヶ岳南麓押ん出し記」、右地図も同氏論文資料の一部に加筆)
であれば、20万~25万年前の八ヶ岳の大噴火時代、噴火で吹き飛ばされた噴石が直接この地まで飛んできて降り積もったものなのだろうか?
あるいは、その後に起き、七里岩を形成したと言われる八ヶ岳の山体崩壊の”岩屑流”の残滓なのだろうか?
明治31年、北巨摩郡大泉村を襲った大土石流災害の名残だろうか?ただ、この時土石流は西側の谷あいを流れ下ったようで、高台に位置する泉原に大石が運ばれてきたとは考えにくい。(参照文献:中井一鴨氏「八ヶ岳南麓押ん出し記」、右地図も同氏論文資料の一部に加筆)
であれば、20万~25万年前の八ヶ岳の大噴火時代、噴火で吹き飛ばされた噴石が直接この地まで飛んできて降り積もったものなのだろうか?
あるいは、その後に起き、七里岩を形成したと言われる八ヶ岳の山体崩壊の”岩屑流”の残滓なのだろうか?
(参照文献:「八ヶ岳火山における山体崩壊と岩屑流-日本における火山体の山体崩壊と岩屑流(その2)」井口 隆氏)
素人知恵の妄想が次々と浮かんでくるが、あまりこのことに首を突っ込むと、肝心の石掘り作業自体が遅滞してしまう。で、この問題は今後ゆっくりと時間をかけて調べることにする。