2015/12/18

あゝ野麦峠

枕元に置いたiPadで、睡眠薬代わりに聴いていた「通信高校講座 現代国語 II  ”あゝ野麦峠”」の講義が意外と面白く却って寝つかれなくなってしまった。

その内容はおおよそ次のようなもの . . . 

明治の歴史では銭を使った者だけが褒めそやされ、その銭を稼いだ人達のことはめったに語られない。




明治国家の富国強兵と殖産興業をなし得たのは、”坂の上の雲”のエリート海軍でも、”鹿鳴間でダンスに興じていた貴婦人達でもない。

日清・日露戦争を勝利に導いた最新鋭軍艦は、雪の野麦峠を往来して、製糸工場で厳しい労働に耐えた工女達が稼いだ外貨で手に入れたものだ。明治の製糸工女達のそんな貢献は、今生きている元工女達がいなくなれば人々の記憶からも消え失せてしまう。

松本平の農家に生まれた著者は、当時まだ生きていた400名近い元工女へのインタビューを繰り返し、彼女達の証言と関連資料を丹念に集めてドキュメンタリー「あゝ野麦峠」を著した。

映画「あゝ野麦峠」は、観客の涙を誘うため暗く悲しい側面を強調し過ぎて原作の意図が歪められてしまったとの批判もある。だから「あゝ野麦峠」に興味のある方は、YouTubeの映画からではなくまずは著書を読むことをお薦めしたい。古本ならアマゾンで19円で買える。(2015/12/18現在)


野麦峠は、毎年鷹柱見学に訪れる白樺峠のすぐ近くの場所だ。新潟や群馬・栃木で子育てを終えたハチクマやサシバの多くが、松本平の上空を通過して梓川の渓谷沿いに移動し、野麦峠を越えて沖縄諸島や東南アジア方面へと向かう。
その同じ峠を、かっては製糸工場での年季が明けた工女達が、何がしかの銭を懐にして両親の待つ飛騨や富山の農村を目指して越えた。

それぞれの思いを胸に抱いた鳥や人の往来を静かに見守ってきたのが野麦峠だ。ちなみに”野麦”という呼び名は峠一帯に生えている熊笹のこと。麓に住む人々は、凶作の時この笹の実を団子にして飢えをしのいだそうだ。

注記:「通信高校講座 現代国語II ”あゝ野麦峠”」 1980年 NHKラジオ放送   講師:清水富雄 朗読:広瀬修子アナ