七草囃子の歌詞の意味を知りたいと気軽な気持ちで調べ始めたが、予想した以上に諸説紛々で簡単に疑問解消とはいきそうにない。
以下は作業途中の備忘録;
- 七草粥が日本で最初に記録に現れるのは平安初期、神宮の祭事を記録した書物「皇大神宮儀式帳」(804年)だそうだ。それが民間行事として広まり、ほぼ現在のような形になったのは室町時代のことらしい。(日本食生活史)
- 大正末期~昭和初期の各地の食生活を聞き書きした「日本の食生活全集 」には、各地域の七草囃子が集められている。歌詞は地方により様々だが、 “トードノトリ”というフレーズだけは共通している。
- トードノトリ(=唐土の鳥)は中国伝承に登場する鬼車鳥(きしゃちょう)。九つの首を持つ怪鳥で、首の一つは犬に喰いちぎられていつも血を滴り落としている。その血が降りかかると凶事にみまわれる。
- 鬼車鳥は、夜中に庭に下りて捨てられた人間の爪をついばむ。時には家の中に入り込んで人間の魂を奪う。(荊楚歳時記)
- そこで、大声で七草唄を囃し、まな板を叩いて大きな音をたてるのは鬼車鳥(=邪気、災厄)を追い払うため。(右図 1832年 山東庵京山作 歌川国芳画)
- ネット上には、唐土の鳥を“農作物に害を及ぼす大陸からの渡り鳥”と解釈し、七草囃子と鳥追い唄を結びつける解説もあるが、神事としての七草粥と、農事の鳥追い行事は別物と考えた方が良さそうだ。
- 七草囃子の誕生時期は定かではないが、江戸初期に貝原益軒により書かれた「日本歳時記」には、七草囃子のことが書かれているそうだ。(日本歳時記はまだ入手できていない。)
- 宮中歳時記 によれば、宮中では1月7日に「七草粥」と「初爪切」の儀が執り行われるらしい。"爪→鬼車鳥→唐土の鳥→七草囃子"とつながっているようで興味深い。
注記:
鬼車鳥を巨大なミミズクとする説もある。ミミズク(=フクロウ)は、国や時代により知恵の神と崇められたり、凶鳥として忌み嫌われたりする。詳しく調べてみたいテーマだが、今回は手をつけないことにした。